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      <title>あの日のあの人</title>
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      <description>知ってる？</description>
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         <title>オリンピックの刷新　3</title>
         <description>「フランス・レーシング(徒競走)・クラブ」の事務局長で、1887年には、リセや寄宿学校に陸上競技連盟の設立を促すための「全国徒競走協会連合」を・・・


続いて89年には「全国陸上スポーツ連合」(USFSA)を創設した、ジョルジュ・ド・サン=クレーと共同戦線を張ります。


サン=クレーはこのスポーツ連合に、かつてクーベルタンが推進者となった学校連盟を何とか加入させようとしました。


クーベルタンもそれに異存はなかったのです。


こうして彼は、スポーツ連合の枠内で仕事をすることを受け入れ、1890年、その事務局長になります。


翌年、彼は「ジュール・シモン委員会」を「身体教育高等評議会」に改組します。


やがてクーベルタンは、弟子の一人であるディドン神父と親交をもつようになります。


この神父こそが、のちにオリンピックの標語となる金言「キティウス・アルティウス・フォルティウス」(より速く、より高く、より強く)の考案者にほかなりません。


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         <pubDate>Tue, 08 May 2012 15:27:07 +0900</pubDate>
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         <title>オリンピックの刷新　2</title>
         <description>パスカル・グルセ(1845～1909年)はパリ・コミューンの第2執行委員会メンバーとして活躍したため、1872年、ニュー・カレドニアに流刑されます。


しかし、2年後に脱出し、パリ選出下院議員として生涯を終えています。


フィリップ・ダリルの筆名で書いていたジャーナリストのグルセは、「全国身体教育同盟」(前述)を設立します。


会長はマルスラン・ベルトレ（1827～1907年）。


合成化学や熱化学の分野で巨歩をしるす一方、文部大臣や外務大臣を歴任します。


副会長はジョルジュ・クレマンソー（1841～1929年）。


初め医者を志しましたが、第ニ帝政崩壊時に政治の道に入り、急進的な極左代議士としてガンベッタ、J・フェリ政権を次々と倒し、《タイガー》の異名を取ります。


第一次大戦末期には首相となり、フランスを勝利に導いています。


グルセは「ジュール・シモン委員会」のイギリスかぶれを痛撃しました。


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         <pubDate>Tue, 10 Apr 2012 15:25:36 +0900</pubDate>
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         <title>オリンピックの刷新</title>
         <description>クーベルタンは数多くの著作をのこしましたが、すでに23歳の時には、イギリスの教育に関するさまざまな論文を書いています。


そして25歳になった1888年には、『イギリスの教育ーカレッジと大学』を出版するまでになっています。


彼はイギリスの教育システムを記述する際、自らの旅行を通しての見聞にル・プレの方法を適用しています。


同年、さらに彼は、1870年から73年にかけて文部大臣をつとめ、身体訓練の愛好者として、これを教育の目玉にしようとしたジュール・シモンの名を冠した、「ジュール・シモン委員会」を主宰しています。


ジュール・シモンは1814～96年。1876年から77年まで首相。


労働条件の改善などに関する著作を残し、ジュール・フェリの学校政策や第三共和制の打倒を叫ぶブーランジスムに反対していました。


しかし、彼には敵がいたのです。

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         <pubDate>Thu, 08 Mar 2012 15:24:01 +0900</pubDate>
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         <title>玉ネギを刻むとなぜ涙が出る？</title>
         <description>玉ネギを刻んでいると目が痛くなり、涙が出てくるのは、玉ネギに含まれているネギ油が蒸発するためです。


玉ネギ特有の刺激臭はネギ油と呼ばれ、その化学的成分は、ニ硫化プロピルアリルと硫化アリルです。


これがガスになって眼球やまぶたを刺激し、そのままでは目がただれてしまうので、涙が出て眼球を包み、ガスが目にしみないようにしているわけです。


玉ネギをニつ割りにし、水中に1分間くらいつけておけば、切り口からネギ油が水に溶けてしまい、目が痛くなりません。


また、冷蔵庫に入れて2、3時間冷やすのも効果的です。


温度が低いとネギ油が蒸発しにくくなるため、刻むのがずいぶん楽になります。

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         <pubDate>Mon, 13 Feb 2012 11:14:37 +0900</pubDate>
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         <title>泣くとなぜ目がはれてくる？</title>
         <description>少しくらい泣いても目ははれませんし、よほど泣いてもこすらなければ、目ははれません。


つまり、泣くと無意識のうちに何度も目をこするので、上まぶたがはれるわけです。


これは、すりむいたあとがはれたり、からだの具合が悪くてむくんだりするのと、まったく同じ状態なのです。


では、上まぶたをこするとなぜはれるのかというと・・・


上まぶたの組織はきめが荒くできているため、少し強くこすったりすると、毛細血管から組織液がもれ、それが組織の中にたまってむくむのです。


腎臓や心臓に故障が起こったり、よほど疲労したあとなどに目がはれるのも、そのためで、まず最初にそこにむくみが出るわけです。
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         <pubDate>Mon, 09 Jan 2012 11:14:09 +0900</pubDate>
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         <title>「目から火花が飛ぶ」のはなぜ？</title>
         <description>目の近くをぶつけると、いわゆる火花が飛ぶという経験をしますが、実際には火花など出ないのに、なぜ火花が見えるのでしょう。


これは、目の神経は光を感じるものであるため、目にきている神経が強く刺激されると、それを光として感じてしまうためです。


ですから、実際には何一つ見えない真の闇の中でも、不意に頭をガンとぶつけたりすれば、火花の飛ぶのが見えます。


目の神経は頭の中にあるので、頭を強く打たれても同じです。


暗闇で目をつぶり、上まぶたを眼球のほうへ強く押した時、何か光の模様が動くのが見えることも同じです。


要するに、目の神経は何か強い刺激を受けると、それを光と感じるのです。

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         <link>http://blackeyedsusan.info/2011/12/post_32.html</link>
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         <pubDate>Fri, 23 Dec 2011 11:13:54 +0900</pubDate>
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         <title>予報の正確さを評価</title>
         <description><![CDATA[少し昔に行われた研究です。


ディーン(1981)は、中央ラジオ伝搬研究所によりなされた日々の予報の正確さを評価しました。


1964年から1969年にかけて正確さは97%か98%で、ネルソンの主張した数値よりも大きかった(同じように、実際のラジオ条件と予測されたラジオ条件との相関は1965年の334日間では0.25、1964年の335日間では0.55でした。


これまた、ネルソンの得た数値よりもはるかに大きい)。


確かに、その実験室は1日まえから7日まえの問で予測作業をしました。


一方、ネルソンのRCA予測は、10日まえから40日まえまでの間で行われました。


これらの予報の正確さはおそらく、予報が何日前になされたかに大いに左右されます。


少なくとももしネルソンが月並みの方法を用いたならば、やはり、彼の結果の正確さに寄与することができたであろうと言えます。


ともかく、このことは、はじめに考えられたほどには印象的ではありませんでした。


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         <pubDate>Wed, 16 Nov 2011 16:44:14 +0900</pubDate>
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         <title>両目で見てなぜ物が一つに見える？</title>
         <description>同時に右左ニつの目で見ているのに、なぜ像がダブったりせずに、物がくっきりと一つに見えるのでしょう。


それは、大脳の働きによって、左右それぞれの目に映じている像を一つに合わせて見ているからです。


人間の目はカメラにそっくりです。


左右それぞれの網膜に映じている像は、感光フィルムの上の映像と同じように平面的に映っています。


しかも、左目のほうには物の左側がより多く映り、右目には物の右側がより多く映っているのですが・・・


このニつの像を、大脳の働きで一つに重ね合わせるので、物が一つに、しかも立体的に見えるのです。


また、カメラと同じで、実際は像がさかさまに映っているのに、慣れているため逆には感じないのです。
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         <pubDate>Sun, 13 Nov 2011 11:12:53 +0900</pubDate>
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         <title>市場共生経営のキーワード　3</title>
         <description>概念を口にすることは簡単ですし、理論的にもたいへん筋の通ったものなのですが、厳密な意味で経営に活かされることはほとんどありません。


それどころか、部門担当部長は、部門の能力や経費は&quot;あらかじめ決まっているもの&quot;として、そのままマーケットに反映されて当然だと強く主張するのです。


例えば、コピー技術のパイオニアであるゼロックス社は、潜在顧客の多くが2～3枚のコピーで十分である場合にも、大型の高速コピー機をマーケットに送り出し続けました。


こうしてその能力と経費を顧客のニーズに見合うよう調整しなかったことで、ゼロックス社は、キャノン、ミノルタ、シャープ、その他の日本の競争相手に、デスクトップコピーでマーケットへの大きな足がかりをつかむチャンスを与えてしまったのです。


ゼロックス社は結局、商品デザイン、経費、流通面で改善を行ったのですが、今のところ失ったマーケットを回復するには至っていません。


同様の落とし穴にはまっている企業は多く見受けられます。


・・・こういった企業は&quot;企業の内部から外側のマーケットへ&quot;という視点で事業を捉えています。

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         <pubDate>Tue, 11 Oct 2011 13:24:49 +0900</pubDate>
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         <title>市場共生経営のキーワード　2</title>
         <description>&quot;市場共生経営&quot;とは、特定の顧客ニーズ、競争力のある商品、企業能力、経費を完全に理解することから始まる、部門の枠を越えた経営方法なのです。


・・わたしたちはこれを&quot;市場共生経営の5つのC&quot;と呼んでいます。


周知のとおり、初めの4つはどのような事業にとっても、戦略をたてるには不可欠な要素です。


顧客のニーズと、高い競争力を持つ商品とは何なのか、を理解することは、戦略上の選択肢を検討する足がかりとなるものです。


狙いを定めたマーケットの要求を満たすことができるよう、経費と企業能力を望ましい方向へ導いていく原動力となるべきものです。


第5要素、部門の枠を越えた経営は、幹部管理職すべてが、事業計画の作成に積極的に関わり、実現を目指し、責任を持って全力を尽くすことを徹底させるための誘い水となるものです。


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         <pubDate>Mon, 05 Sep 2011 13:23:50 +0900</pubDate>
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         <title>市場共生経営のキーワード</title>
         <description>最も優れたゲームプランとは、事業のあらゆる分野で、市場共生経営をめざすことだと確信しています。


本当の意味で市場共生型の事業部門であるということが何を意味するのか、そして事業運営中で改善を必要としている特定の部分をどのように見つけていったらよいのか・・・


これからつぶさに調べていきたいと思います。


&quot;市場共生&quot;という表現は、マーケティング一般の単なるはやり言葉になってしまいがちです。


専門的な響きの流行語や、人目を引くタイトル、安易な解決策でパンク状態にある経営学の文献があまりに多い昨今、この危険性はまさに現実のものとなっています。


そして、&quot;市場共生経営&quot;という表現をこういったカテゴリーのどれかにあてはめようとすれば、どれにでも簡単にはまってしまうことでしょう。


しかし実際には、はっきりと一線を画するのです。

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         <pubDate>Tue, 02 Aug 2011 13:23:16 +0900</pubDate>
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         <title>経営を考える</title>
         <description>事業は無関係の在庫を抱えることになります。


・・・こういった足かせは、昔ながらの経営姿勢、過去の遺物のような労働組合、変化の激しい世界におよそそぐわない風潮によって、増長してしまうのです。


忘れてはならない重要な点が2つあります。


第一は、過去どうであったか、というこだわりを捨てなければならないということです。


時間も自然な景気回復も、事業を過去へと引き戻すことなどできないのです。


以前よりもずっと難しくなったルールで、ますます手ごわくなった競争相手と、全く新しい野球の試合をしているようなものなのです。


第ニは、経営陣の一人一人がこの新しい試合のルールはどういうものなのか、生き残り、勝者としてのしあがっていくのに必要な変革は何なのか、ということを理解しなければならないという点です。


さもなければ、打席の順番さえ回ってこないでしょう。


・・・次の打席を確実なものとするには、ほとんどの企業で、新しいゲームプランが必要です。


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         <pubDate>Tue, 05 Jul 2011 13:22:23 +0900</pubDate>
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         <title>在宅サービスの充実　2</title>
         <description>ちょっと考えてみれば、食べることは毎日のことですし、入浴サービスでも特別養護老人ホームでは少なくとも週2回です。


月1、2回の入浴、給食サービスは、とても在宅福祉サービスとはいえないでしょう。


在宅ケアを可能にするショート・ステイ及びデイ・ケア・センター等を地域社会の身近なところに張りめぐらせていかなければなりません。


行政分野でいえば保健・医療と福祉を結びつけ、各種の効果的な連携プレーを実現していかなければならないでしょう。


家の内へ他人には入られたくない、公的サービスを受けるのは恥だ、世間体が悪いといって在宅サービスをむしろ拒む住民とそれを当然視する地域社会の風土をどのように考えるのか・・・


「親孝行したくなくとも親はいる」と考える子供たちのあり方をどう考えるのか。


営利事業者が福祉サービスの供給主体として登場しはじめていますが、そうした民間活動と自治体の役割をどう調整するのか・・・


さまざまにかかる費用をどういう考え方でだれにどの程度負担してもらうのか。


はたまた学校給食と老人給食を連動させられないか・・・


校舎や保育所などの既存の余剰施設を老人福祉施設へ転用できないか、等々・・・


早急に検討し施策化しなければならない課題は多いのです。


とりわけ、老人が孤立化しやすい大都会の都市自治体は、むしろ、過疎ですがゆえに老人たちが3つも4つも社会的役割を担わざるをえない地域と比べて、充実した福祉サービスの展開には、何倍かの工夫と努力が必要です。

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         <pubDate>Mon, 13 Jun 2011 17:27:12 +0900</pubDate>
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         <title>在宅サービスの充実</title>
         <description>1987年9月2、12日の両日、「高齢化社会をよくする女性の会」と埼玉県が共催して、第6回女性による老人問題シンポジュームが埼玉会館で開かれました。


わたしはこれに行きました。


このシンポジュームで「女性の会」が同年の7月から8月にかけて全国82自治体(市町)から回答をえた「老人福祉施策に関するアンケート調査」の結果が紹介されました。


この調査では、給食サービス、入浴サービス、家庭奉仕員派遣、訪問看護の4種類のいわゆる在宅福祉サービスの実施状況を調べています。


かなりの地域差がみられましたが、全体としては、4つとも実施しているところは4割にも達していませんでした。


給食や入浴サービスは月1、2回が多く、ホーム・ヘルパーは実施率は高いですが、人手が足りず、訪問看護は過半で実施しているもののはじまったばかりであるといった実態が報告されました。


自治体の大半が「老人」をかかえる世帯の実態は把握していないことも分かったのです。


シンポジュームでコーディネーターをされていたある人は、


「在宅福祉なんてよくいうよ、入浴1回、給食1回」


・・・と総括し、会場をわかせました。


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         <pubDate>Sat, 28 May 2011 17:25:08 +0900</pubDate>
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         <title>「老人」観の変転　2</title>
         <description>国民の祝日としての「敬老の日」の趣旨は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことです。


しかし、この「敬老の日」を制定した昭和23年の日本人の平均余命はほぼ60歳です。


まだ「人生80古来稀なり」という格言が真実味を帯びていた頃の話しです。


大部分の人が人生80年が当たり前になれば、その長寿の意味は複雑になります。


「敬老の日」に、寝たり老人に「座ぶとん」を祝いの品として届けた自治体がその純感さと画一さで嘲笑をかったことがありますが・・・


寝たきりのまま生きつづけている老人を長寿者として祝う意味はなにか、より根本から考えなくてはならなくなったのです。


「老いを人間らしくまっとうする」とはどういうことかを本人も周囲も深く考えなければならなくなったのです。


どの自治体でも高齢社会への対応施策の基礎を「長生きは幸せ」とする考え方にすえていることを想起すれば、わたしたちは、どうやら、「非人間」化した老人を最後まで人間として遇する態度と行動を断固としてとりつづける決心をしなければなりません。


それは、ときに修羅場を覚悟し、それを支援するシステムをお金をかけて用意することを選択することを意味するはずです。


財政面からのみ考えれば、老人たちを収容施設に入れて非人間的に扱うほうが圧倒的に安上がりなのです。


それを拒否し、施設福祉も充実させながら在宅福祉を確立していき、わたしたちが納得できるような扱いをしようと考えるならば、労力とお金はとてつもなくかかるのであり、その負担を自ら引き受けることを決意しなければならないのです。


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         <pubDate>Thu, 28 Apr 2011 17:17:15 +0900</pubDate>
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