オリンピックの刷新 3
「フランス・レーシング(徒競走)・クラブ」の事務局長で、1887年には、リセや寄宿学校に陸上競技連盟の設立を促すための「全国徒競走協会連合」を・・・
続いて89年には「全国陸上スポーツ連合」(USFSA)を創設した、ジョルジュ・ド・サン=クレーと共同戦線を張ります。
サン=クレーはこのスポーツ連合に、かつてクーベルタンが推進者となった学校連盟を何とか加入させようとしました。
クーベルタンもそれに異存はなかったのです。
こうして彼は、スポーツ連合の枠内で仕事をすることを受け入れ、1890年、その事務局長になります。
翌年、彼は「ジュール・シモン委員会」を「身体教育高等評議会」に改組します。
やがてクーベルタンは、弟子の一人であるディドン神父と親交をもつようになります。
この神父こそが、のちにオリンピックの標語となる金言「キティウス・アルティウス・フォルティウス」(より速く、より高く、より強く)の考案者にほかなりません。