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藤村哲哉氏 映画業界の元風雲児

藤村哲哉氏
ギャガ・コミュニケーション創業者、元社長
1954年生まれ

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ギャガという会社は、今となっては、単なるUSENの子会社になってしまったが、もともとは偉大な会社だった。日本の映画配給業界に残した功績は大きい。

脱サラした藤村氏が1980年代に創業したギャガは、「版権ビジネス」の先駆けであった。B級、C級よりさらに質が悪い映画(Z級と呼ばれた)のビデオ化権を海外で買いまくり、レンタルビデオ屋に流して大儲けした。

その後に進出した洋画配給事業(こんどはA級作品も扱った)では、「どんな作品が日本でヒットする確率が高いか」ということを予測するためのデータベースを構築した。業界の職人たちの勘に頼るのでなく、あくまでデータに基づいて買い付けるスタイルだ。

いずれも、映画業界未経験だった藤村氏と、藤村氏が雇った側近たちが確立したビジネスモデルである。藤村氏はベンチャー起業家であるが、脂ぎったところがなく、常に「落ち着いた大人」であった。映画ビジネスのリスクを常に警戒する思慮深さも持っていた。このため、優秀な人間が多く集まり、ギャガを日本屈指の配給会社に押し上げたのである。

しかし、その後、脇が甘くなったのが、2004年前後に巨費を投じた大作の配給が相次いで失敗し、経営責任をとってギャガを退任した。上場を果たし、成功が続いていたため、油断しだのだろう。

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奥田碩氏

奥田碩氏
トヨタ自動車株式会社代表取締役社長(第8代)、同社代表取締役会長
1932年、三重県生まれ
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トヨタ自販の経理部時代に上司とぶつかり、1972年秋、マニラに赴任する。
肩書きは「経理アドバイザー」。これは困難な任務であり、事実上の左遷であったが
当時、マニラには豊田章一郎の娘婿・藤本進が大蔵省の駐在員として出向しており、奥田は章一郎が孫の顔を見に来るたびに同行し、章一郎は奥田の才能を認め、「マニラでこんなやつがくすぶっているのか。本社の人事は何をしているんだ」とまで言ったという。
社長時代にはそれまでどちらかといえば良い意味で保守的だったトヨタを改革したと言われている。
例えば、世界に先駆けてハイブリッド車「プリウス」を発売したことや、それまでトヨタが敬遠していたF1への参戦を表明したことなどである。奥田時代、当時国内販売で落ち込んでいたシェアを3年がかりで40%代まで回復させるなど、奥田の時代からトヨタは「攻め」の姿勢に転じて躍進を遂げ、現在の世界第1位の自動車メーカーの座を手にした。このことから、彼の経営手腕は一般的に高く評価されており、ハウツー本が出販されたり他のメーカーの中には彼の改革を手本にする企業まで出てきた。

奥田の諸改革には常に後ろ盾として豊田章一郎の姿があり、奥田も豊田本家の章一郎を求心力として旗印にし、常に豊田家を立てつつ改革を進めた。

その一方で、スポーツタイプの車種を全廃した戦略、モータースポーツを広告として捉えるやり方への批判、従業員に過度のサービス残業を強いて労働基準監督署の査察を度々受ける事態を招いたり、業績好調にもかかわらず外国人労働者や非正規雇用の確保で賃金の抑制を行うなど彼の経営姿勢を批判する声が圧倒的に多いのも事実である。
このぐらいの年の人達の時代の頭だと
この批判されてしまう部分はしょうがない気も・・。
年寄りが上の立場だと考えが古いですし。

豊田章一郎の後ろ盾は自分の才能で得たってのが素晴らしい。

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衛藤バタラ氏

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えとらぼ株式会社代表取締役。
元ミクシィ取締役兼最高技術責任者。
インドネシア北スマトラ州メダン出身。

日本の拓殖大学工学部に留学中、1999年からインターンとしてイー・マーキュリー(現ミクシィ)に入り、転職情報サイトFind Job!の開発運営に携わる。

2004年に拓殖大学を卒業後も日本に留まり、イー・マーキュリーに正式に入社。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の開発を提案し、
2006年に最高技術責任者に就任。
中心人物としてmixiの開発を企画し、mixiを日本最大のSNSへと成長させた。

2007年に取締役兼最高技術責任者を退任したが、
2008年以降も技術顧問として同社には留まっている。
2008年2月、えとらぼ株式会社を設立。

03年ごろから米国でSNSが流行し始め、面白さに引かれていたため、
人を集める手段としても魅力的と感じ、笠原健治社長に相談。
ゴーサインをもらった。笠原社長やデザイナーと協力しながら、技術面は1人で担当。
mixiはオープン直後から急成長し、「今日サイトが重かったら、翌日はもっと重くなる」という状態。
大規模サイトをゼロから構築、運用したのは初めてで、「毎日サーバが足りなくなった」と振り返る。

「使っていたデルのサーバは、注文してから届くまでに時間がかかってしまう。足りなくなったらすぐに増設するために、アキバに行ってサーバを買い、データセンターに持って行く、ということを繰り返していた。スケーラビリティが大変だった」と語っている。

年齢がまだ30歳ってのにビックリしました。
新しい会社の事業もすでに利用してたり
数年後にはいつの間にか利用してるってこともあるかも・・・ですね。

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マイケル・デル

アメリカ合衆国の実業家。デル社の創設者、会長兼最高経営責任者。

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15歳の時に買ってもらった Apple II を好奇心から分解する。店頭に売られているコンピュータを分解し、強化されたコンポーネントで組み立ててアップグレードしては友人に販売していたデルは、やがて「これは大きなビジネスチャンスになる」と確信する。

しかし両親は医学部への進学を望み、1983年にテキサス大学オースティン校に入学する。在学中もコンピュータをアップグレードして金を稼いだ。

「販売店やディーラーを介さず、注文生産の製品を直接顧客に販売する」というコンピュータ業界初の直販制度を採用したことで会社は急成長を遂げ、1988年には24歳の若さで NASDAQ に株式公開を果たした。同年に社名を「デル・コンピュータ」と改める。
1992年に会社は Fortune 500 入りを果たし、デルは Fortune 500 社中最も若い最高経営責任者になった。2003年には製品ラインを拡大し社名を「デル」に改名。

2004年7月には最高経営責任者職をそれまで最高執行責任者を務めていたケビン・ロリンズに譲った。2007年2月、ロリンズの辞任に伴い、最高経営責任者職に復帰している。

ここのパソコン使ってるけどサポートが悪い。
日本語がよくわかってない中国人?が電話に出て通じないし
そういった意味で顧客満足度は低いみたいですね。
ただこの人がここまで大きくした功績は素晴らしいです。