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奥田碩氏

奥田碩氏
トヨタ自動車株式会社代表取締役社長(第8代)、同社代表取締役会長
1932年、三重県生まれ
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トヨタ自販の経理部時代に上司とぶつかり、1972年秋、マニラに赴任する。
肩書きは「経理アドバイザー」。これは困難な任務であり、事実上の左遷であったが
当時、マニラには豊田章一郎の娘婿・藤本進が大蔵省の駐在員として出向しており、奥田は章一郎が孫の顔を見に来るたびに同行し、章一郎は奥田の才能を認め、「マニラでこんなやつがくすぶっているのか。本社の人事は何をしているんだ」とまで言ったという。
社長時代にはそれまでどちらかといえば良い意味で保守的だったトヨタを改革したと言われている。
例えば、世界に先駆けてハイブリッド車「プリウス」を発売したことや、それまでトヨタが敬遠していたF1への参戦を表明したことなどである。奥田時代、当時国内販売で落ち込んでいたシェアを3年がかりで40%代まで回復させるなど、奥田の時代からトヨタは「攻め」の姿勢に転じて躍進を遂げ、現在の世界第1位の自動車メーカーの座を手にした。このことから、彼の経営手腕は一般的に高く評価されており、ハウツー本が出販されたり他のメーカーの中には彼の改革を手本にする企業まで出てきた。

奥田の諸改革には常に後ろ盾として豊田章一郎の姿があり、奥田も豊田本家の章一郎を求心力として旗印にし、常に豊田家を立てつつ改革を進めた。

その一方で、スポーツタイプの車種を全廃した戦略、モータースポーツを広告として捉えるやり方への批判、従業員に過度のサービス残業を強いて労働基準監督署の査察を度々受ける事態を招いたり、業績好調にもかかわらず外国人労働者や非正規雇用の確保で賃金の抑制を行うなど彼の経営姿勢を批判する声が圧倒的に多いのも事実である。
このぐらいの年の人達の時代の頭だと
この批判されてしまう部分はしょうがない気も・・。
年寄りが上の立場だと考えが古いですし。

豊田章一郎の後ろ盾は自分の才能で得たってのが素晴らしい。

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