マイケル・デル

アメリカ合衆国の実業家。デル社の創設者、会長兼最高経営責任者。

4351516164.jpg

15歳の時に買ってもらった Apple II を好奇心から分解する。店頭に売られているコンピュータを分解し、強化されたコンポーネントで組み立ててアップグレードしては友人に販売していたデルは、やがて「これは大きなビジネスチャンスになる」と確信する。

しかし両親は医学部への進学を望み、1983年にテキサス大学オースティン校に入学する。在学中もコンピュータをアップグレードして金を稼いだ。

「販売店やディーラーを介さず、注文生産の製品を直接顧客に販売する」というコンピュータ業界初の直販制度を採用したことで会社は急成長を遂げ、1988年には24歳の若さで NASDAQ に株式公開を果たした。同年に社名を「デル・コンピュータ」と改める。
1992年に会社は Fortune 500 入りを果たし、デルは Fortune 500 社中最も若い最高経営責任者になった。2003年には製品ラインを拡大し社名を「デル」に改名。

2004年7月には最高経営責任者職をそれまで最高執行責任者を務めていたケビン・ロリンズに譲った。2007年2月、ロリンズの辞任に伴い、最高経営責任者職に復帰している。

ここのパソコン使ってるけどサポートが悪い。
日本語がよくわかってない中国人?が電話に出て通じないし
そういった意味で顧客満足度は低いみたいですね。
ただこの人がここまで大きくした功績は素晴らしいです。

松下幸之助

5373757.JPG

松下 幸之助(1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈昭和64年・平成元年〉4月27日)は、日本の実業家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた日本屈指の経営者で、経営の神様とも、関係者からは社主とも称された。

自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

1950年以降、長者番付で10回全国1位を記録(1955年~1959年、1961年~1963年、1968年、1984年)。また40年連続で全国100位以内に登場した。この時期の幸之助は「億万長者」であり、一生で約5,000億円の資産を築いたと推定される。

電球ソケットから始まりこんなに稼いだなんて・・・
40年連続で100位以内だなんて・・・。

続きを読む "松下幸之助" »

スティーブ・ジョブズ

56555.jpg

スティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日 - ) はアメリカ合衆国の実業家。
スティーブ・ウォズニアック、マイク・マークラらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界で初めて成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。
また、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続ける人物。

プレゼンテーションの素晴らしさ、ライバル企業の経営者をも惹き付ける人間的魅力で知られる。
暫定CEOに就任して以来、基本給与として、年1ドルしか受け取っていないことで有名であり(実質的には無給与であるが、社会保険などの為に必要であるため)、このため「世界で最も給与の安いCEO」とも呼ばれている。
2006年に、ピクサーをディズニーが買収したことにより、ディズニーの個人筆頭株主となり、同社の役員に就任しているが、ディズニーからの役員報酬は辞退している。

知れば知るほど興味深い人ですね。

井深大氏

井深大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の実業家。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。生前の盟友であった本田技研工業の本田宗一郎と並び称される戦後日本を代表する起業家として世界的にも有名。
また、飯盛山で自刃した白虎隊士井深茂太郎の一族の末裔でもある。正三位 勲一等。

5473.jpg

1946年(昭和21年)、資本金19万円で、義父の前田多門(終戦直後に文相)が社長、井深が専務(技術担当)、盛田昭夫が常務(営業担当)、社員20数人の東京通信工業(後のソニー)を創業。以来、新しい独自技術の開発にチャレンジし、一般消費者の生活を豊かに便利にする新商品の提供を経営方針に活動を展開。そして、多くの日本初、世界初という革新的な商品をつくりだし、戦後日本経済の奇跡的な復興、急成長を象徴する世界的な大企業に成長していく。

この人なくして今のソニーはないでしょう。

衛藤バタラ氏

6537563.jpg

えとらぼ株式会社代表取締役。
元ミクシィ取締役兼最高技術責任者。
インドネシア北スマトラ州メダン出身。

日本の拓殖大学工学部に留学中、1999年からインターンとしてイー・マーキュリー(現ミクシィ)に入り、転職情報サイトFind Job!の開発運営に携わる。

2004年に拓殖大学を卒業後も日本に留まり、イー・マーキュリーに正式に入社。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の開発を提案し、
2006年に最高技術責任者に就任。
中心人物としてmixiの開発を企画し、mixiを日本最大のSNSへと成長させた。

2007年に取締役兼最高技術責任者を退任したが、
2008年以降も技術顧問として同社には留まっている。
2008年2月、えとらぼ株式会社を設立。

03年ごろから米国でSNSが流行し始め、面白さに引かれていたため、
人を集める手段としても魅力的と感じ、笠原健治社長に相談。
ゴーサインをもらった。笠原社長やデザイナーと協力しながら、技術面は1人で担当。
mixiはオープン直後から急成長し、「今日サイトが重かったら、翌日はもっと重くなる」という状態。
大規模サイトをゼロから構築、運用したのは初めてで、「毎日サーバが足りなくなった」と振り返る。

「使っていたデルのサーバは、注文してから届くまでに時間がかかってしまう。足りなくなったらすぐに増設するために、アキバに行ってサーバを買い、データセンターに持って行く、ということを繰り返していた。スケーラビリティが大変だった」と語っている。

年齢がまだ30歳ってのにビックリしました。
新しい会社の事業もすでに利用してたり
数年後にはいつの間にか利用してるってこともあるかも・・・ですね。